一度閉鎖したブログなのですが。。。アメフトの面白さに観戦記を記すことにしました。その日のノリで応援チームを決め、チアリーダーをデレデレ眺めながら一生懸命応援する変なオヤジのブログです。


by quesaisje00

小説と心理学とはもはや敵対している.

 多く小説の解説,評論には「心理学的」な説明がなされる.しかし,もはや心理学は小説などの分野に大きな興味を抱いておらず,それに不満すら述べるようになっている.詳しくはmore以降.



 表題のような主張に,違和感や興味をいだくだろうか?フロイトやユングが,その著書の中で,自分達の患者達についての記述と同列に古今東西の小説や民話などの例を多く示したことはよく知られている.実は学問的には彼らが心理学者かどうか危ういのだが(フロイトは神経学者,ユングは精神科医で,しかも彼らの研究手法は通常の心理学のそれから大きく逸脱している.),一般には心理学者として扱われることが多い.
 しかし,このようないわゆる広義の精神分析学は,近年その理論のほとんどに意味がないことまたは間違いなどが指摘され,その意義を失っている.面白くて含蓄深い学問だが,頭のいい人間が実験実証よりはむしろ思弁によって構築したこの学問は,そもそもその成立過程から,一種の小説的正確を帯びていたのかもしれない.
 これに比べるとぐっと有名度が落ちるが,もう一つHeider, F.らにはじまるいわゆるnaive psychologyと呼ばれるような分野もよく小説などの説明に用いられる.社会心理学者の中で,特に一般の人の思考過程などに光を当てた彼らは,葛藤,自分のやりたいこととできることの相違する状況,坊主にくけりゃ袈裟まで憎い状況などの劇的な状況においての人間の思考を扱い,一時はこの分野が社会心理学そのものをあらわすようになるほど隆盛を極めた.
 ここでは,古今の有名小説は彼らの研究対象であるような状況の劇的で極限的な状況における恒例であり,理論の説明にその主人公の行動や思考の説明がそのまま用られた.彼らは少なくとも,実験室実験では人間が彼らの理論で示したような行動をとることを示しており,その意味では「科学的」ではあった.ただ,ことわざや有名小説のような状況を設定し,本当に人が小説や格言どおりの行動をすることを示しただけというのは,ものすごい進歩のようで,単に説明のレベルが上がっただけともいえ,評価は分かれるところだ.いわゆる,面白いがロボットを作るにはまったく必要ない理論であり,このアプローチを突き詰めたところで,何か根本的なことがわかるとは僕にはどうしても思えない.
 現代では,このようなある現象などから帰納的に人間の理解・理論を深めるアプローチは下火となっており,代わりに近年爆発的な進歩を遂げた脳科学などから,人間という生体の機能そのものを推論した演繹的なアプローチとでもいうべきものが主流となりつつある.このとき,もはや小説は脳が生み出した一つの言語のまとまりに過ぎず,なにかを学ぶべき研究対象ではなくなってしまった.
 カウンセリング(臨床心理学)の世界からも,小説は駆逐されかけているかもしれない.もはや現代では自分を掘り下げていく自己探求を行う治療方法は下火であり,患者の自己や問題への認知や行動パターンを変容させるようなやりかたが主流である.幼児虐待が起こっても,母親の幼児期の記憶などを真剣に掘り下げていく「手間はかかるが効果はうすい」やり方を取る人は心理学後進国の日本ですら奇異なやりかたになってきている.不潔恐怖の患者に対し,自分が不潔であるとの心理的トラウマを植え付けた幼児体験を探し出し,喪っていた無意識の自分を取り戻そうと真剣に関わる人もあまりいないいし,ぶっちゃけた話治療効果にどれくらいそれが結びつくのかには疑問がある.
 (面倒になってきたのですこしはしょって)小説がもし,心理学者に再び注目させるようになってくるとしたらきっとこうだ.それはよくある体験記などではなく,何らかの啓発的な効果のある語り,劇的さや深遠さなどで読者を麻薬のようにひきつけるのではなく,もちろん人殺しやセックスで売るのでもなく,しかし面白いものでなくてはならない.そして,そこには問題ではなく解決が語られ,なんらかの理論的ベースにのっとって本が作られるのでなくてはならない.そんな話は,今のところあるだろうか.今それを探しているのだが,ないのなら自分がそれをやってみたい.問題は,苦労してそれを成し遂げても研究者としての自分の業績にそれが結びつくかどうかはなはだ怪しいことだw.
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by quesaisje00 | 2004-10-06 00:17 | 心理学