一度閉鎖したブログなのですが。。。アメフトの面白さに観戦記を記すことにしました。その日のノリで応援チームを決め、チアリーダーをデレデレ眺めながら一生懸命応援する変なオヤジのブログです。


by quesaisje00

私にいわせれば,そもそも人間には感情などというものはない

 授業の際の自分の口癖は
 「心理学を勉強しても人の気持ちがわかるわけじゃない」
である.時々は,
 「人の気持ちなんかわかるわけがない」
というときすらある.そもそも,厳密な意味では人間に感情なるものはないと思っているからだ(判断はmoreを押して全部読んでから).もっと正確にいうと,感情というものは,突き詰めて考えると,ないと判断しても事足り,ないか,あったとしても意味のないものとしてとらえれば学問的には十分である.



 と,上の発言を聞くと,僕がいかにも冷酷な人間のように感じる人もいると思う.そうかもしれないし,事実自分はかなり冷めた性格だと思うが,そのことと心理学者としての上の見解には関係がない.それについてはどこかで言明しておかなくてはいけない.

 つまり,私人としての自分が,相手の感情を推し量ったり,その存在を無視して振る舞うというわけではない.ただ学問的にみて,感情なり気持ちなりの存在は証明不可能であり,その意味でないか,ないと同じ事だと思っている.

 存在が証明不可能だというのは説明が難しく,厳密にこれを説明しようとするならポパーあたりの本を紹介するしかない.簡単にいえば,
1 ないことを証明することは不可能である.
2 あることを証明することは義務だが,ないことを証明する必要は   ない.
3 何かがあることの証明には,その厳密な定義が必要だが,そもそも様々な現象などの複合体である気持ちや感情というものは厳密な定義は限りなく不可能に近い.少なくとも現実的には,気持ちとか感情といったものの完璧な定義は不可能である.

 ということになる.そもそも定義が不可能で,証明もできないようなものについて,厳密な意味での推察や推測が成立するはずがない.だから,冒頭の発言になる.

 しかしこれをもって,感情なり気持ちなりという「ことば」の「使用」になんの価値もないと捉えられると困る.われわれ人間は,自分達の状況把握能力を超える,現実というこの複雑な世界のなかでもだえる存在であり,その中で,完璧でなくとも状況をだいたいに理解し,当該の問題に対処していかねばならないのだ.その意味において,このような言語あるいは概念の使用には十分な意味あるいは効果がある.

 だから,感情などというものはないし,それを僕か僕以外の人間が理解できることはありえない.しかし,それにもかかわらず,僕も,僕以外の人間も,相手の感情なるものを推察し,それに依拠して状況判断することでなんとかこの複雑な世の中を生きているのだ.その意味では,本当に理解不能なのは,現実そのものであって,人の気持ちというのはその一例に過ぎないとも言える.

 ・・・さて,これをどうやって授業にしてわかってもらおうか.難しいなあ...
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by quesaisje00 | 2004-10-14 23:49 | 心理学