一度閉鎖したブログなのですが。。。アメフトの面白さに観戦記を記すことにしました。その日のノリで応援チームを決め、チアリーダーをデレデレ眺めながら一生懸命応援する変なオヤジのブログです。


by quesaisje00

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最近

 あまり書くこともなく単調な日々を過ごしている.

 毎日が良いというのは,毎日が変わらないということととても近く,時にもう退屈を感じている自分がいる.昨日と同じであってはだめなんだと思わないといけない.毎日成長しているのが普通だと思えると,つまらない日々であることが最高の日々を送っていることになり,自分を治療的ダブルバインドに落とし込めるのかもしれない.

 世界にはあまりにも楽しいことがたくさんあり,僕にはあまりにもやりたいことがたくさんあり,それにいくつかのやらねばならないことが追いかけてやってくる.その意味で私たちの人生の選択とは,あまりにも多くの+や快の中から,どれを選ぶかという問題であり,いわばどの良を選ぶかということであろう.

 ある人はどの選択肢が一番よいのかについて悩み,ある人はどの選択肢が一番後悔しないのかを考え悩む.そもそもどのように決めるかというメタ意志決定自体に悩んでしまっている人もいる.

 その中で,特に現代の若者が忘れてしまいがちなのは,どのような選択であれ勝者足り得るということだ.人生とは貯蓄残高の額を競うゲームではない.どの額であれ,どれくらい自分が満足できたか,楽しめたかなど,自分自身で設定した自分自身を評価する基準によりどの程度己のこれまでの選択や行動を評価するかということが重要であると考える.この基準を哲学とかポリシーとか信念というが,これらの人生を主観的に揺るぎないものにしていくためのある程度いやらしさを含む本質的な教育が現代の若者層には決定的に欠けており,自分自身を正当化する決定的な何かを持ち得ないでいる.そして,教育界や子を持つ親は,自分たちの孫子の世代にどのような哲学,ポリシー,信念といったものを伝えていくかについて全く気弱であり,せいぜい他人に迷惑をかけないで生きるといった消極的な処世術を教えるに足りてしまっている場合が多い.このことが他者との比較ばかりにおびえ,幸せになりたいなどという本質的に実現不可能な欲望を強く抱きつつ他者との比較に明け暮れる信念なき若者を生む一因と思う.
 ここでは論理に走らず簡単に言い換えて終わっておく.私がインドのガンジス川の上流リシケシュで,何度かの深い瞑想の後に強く感じたことがある.そのとき私はいくつかの意味で何も持っていなかったが,幸せだった.ただ道を歩いており,横を川が流れており,借りていた部屋に帰るというだけのありふれた時間だった.しかし,ヨーギ(ヨガの先生)に言われたように微笑んで,そうして気づいてみると,いままで何気なく歩いていたこの道は圧倒的なまでに美しく,自分が完璧なまでの巨大な風景に包まれているのを強く感じた.そのとき思った.美しいと.
 わたしはこの時以来自分を他人と比較して幸せ量を判断するのをやめた.ある選択肢を取っていたら得ていた良と今の自分が得た良を比べて考えるのをやめた.それらはあのときの美しさには本質的には関係していないことがよくわかっているからだ.ここにわたしがいて,考え,ときに間違い,惑い続けている.そのことがとてもすばらしい.そして,バリー・シュワルツの本を読んで,自らがとった選択肢やその決め方よりも,自分が選んだものそれ自体にいくらコストをかけられるかということを考えるようになった.明日の自分は今日の自分と同じことを考えているのかどうかはわからない.しかし,私はいまとても幸せである.
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by quesaisje00 | 2006-11-30 01:15 | その他

今夜の食事

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 ルイペとトリュフチーズ
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by quesaisje00 | 2006-11-12 23:46 | 食事

無題

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by quesaisje00 | 2006-11-04 20:56 | 食事

ゼッコーチョー

 という中畑の台詞はむしろ不調のときにこそいえとコーチに言われたものらしいが,

 最近私絶好調である

 もうこんな時期は人生で来ないのではないかという張り詰めた気持ちだ.人の一生は短く儚い.明日死ぬかもしれないが,”死ぬ3分前まで生きていた”と呼ばれるような人間でありたいw.
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by quesaisje00 | 2006-11-01 03:00 | その他